思考ノイズ

無い知恵を絞りだす。無理はしない。

ファンタジー作品を理屈で説明できる度合いで評価が変わる

君の名は。の快進撃がすすんでいる。歴史に残る大ヒットが確実となっている一方で、この作品に対して批判的な意見もよく見かける。これだけ大ヒットした作品だからいろいろな意見がでるのは当然のことではあるが、同じく大ヒットした「シン・ゴジラ」と比較すると批判的な内容の比率が大きい。

 

実は私の奥さんもまさにこのスタンスだった。最初に「君の名は。」を2人で見たあと、首をかしげていた。そのあと、おっかなびっくり見に行った「シン・ゴジラ」に関しては非常に評価が高かったようだ。私はどちらの2作品もほぼ手放しで喜んだ。もちろん多少の突っ込みどころはあるにはあったが、全体を通して大傑作というスタンスだった。そのため、この2作品に対して評価がぱっくり分かれた奥さんが当初不思議だった。

 

そのあと話をして、よくよく話してみて、私の中で一つ結論が導き出された。まず前提として彼女は理系の世界で生きている女性である。このことが「シン・ゴジラ」のみの評価を大きく引き上げた。この映画はゴジラの存在そのものがファンタジーであるものの、その出現理由、政治対応、科学的解決などすべてが理詰めで説明される。わかりやすかったのだろう。

 

しかしながら同じく理系である私は「君の名は。」も評価をしてしまっている。そこにはこうしたファンタジー作品への慣れの違いあるのではないかと考えた。私の奥さんは漫画・アニメを見た経験がほとんどなく育っており、ゆえにこうしたファンタジー作品に対してもほとんど触れてこなかった。この作品をみた後に放った第一声が「なんで2人が入れ替わっているのかわからなかった。」である。一方で私を含め、日本人の多くは幼少期に漫画・アニメに触れる機会があり下地ができる。この下地の有無が私と奥さんの感想に違いを生んだに違いない。

 

もちろん「君の名は。」に批判的なほかの人の多くにもこの下地はついているから当てはまらないだろうが、このファンタジーが「どれだけ理屈で説明できるか」というというポイントが評価の割合に影響を及ぼすことは考えられるだろう。現に批判のおおくは「~が説明できない」というサマリーに集約できるのはないか。

 

君の名は。」も「シン・ゴジラ」も全体的には素晴らしい作品・出来栄えであることは前提ではあるが。その中でファンタジーのグレーな部分がどこまで説明できるか・納得できるかによって評価の度合いは変わってくるのではないかと考察をしてみる。

使徒としてのゴジラ、ネルフとしての日本政府 「シン・ゴジラ」 ネタバレ

話題のシン・ゴジラみました。初4Dで見たのですが、まぁ、面白かったけど、追加した料金分楽しめたかというとそこは微妙なところ。

 

んなこたぁ、どうでもよいんですよ。ゴジラですよ。いやーよかった。よい噂をよく聞くので期待値のバーは上がっていたのですが、それは楽に超える程度のできではあったと思います。現代の社会問題を色濃く映したうえでのまさに2016年だからこそのゴジラ映画ではないでしょうか。2016年版ゴジラである。

 

まず、ゴジラとの戦闘アクションがよかった。これは私の世代でドンピシャのエヴァンゲリオンの新しい使徒との闘いが見れたという点で大満足です。エヴァンゲリオンでは心理描写の妙というかたちでよく語り継がれていますが、アクションシーンもなかなかよくできるという。使徒という未知の巨大生物とどう戦うか、かれらの生物的解析をおこない、弱点を分析し、それを実行する、というながれがまさかの使徒としてのゴジラを相手に実写でみられました。これはテンションがあがるぅ!しかも人類側は巨大決戦兵器ではなく、2016年時点での現代兵器でたいおうしていかなくてはならない。この点においてリアリティラインが上がっており、ハラハラがとまらない。

 

ゴジラが使徒ならば、対峙するネルフは日本政府ということになるでしょう。リアリティラインといえば、この日本政府の対応を異様にねちっこく、政治性を前面に押し出して描画している。攻撃一つをおこなうにしても決定するための総理の決断が必要。これはルールであり政治的力を抑制するためにあるのだが、こうした事前に想定を全くしていなかった、不測の事態に対する適用にも当てはめることで、どこかコメディ的な、滑稽な様子が映し出されている。この滑稽さはなにも政府だけではなく、一般市民の生活にも描画されている。最初に上陸したゴジラがいなくなったあとの、一時的になにもなかったようにすごされる平和な生活や、ゴジラを倒すのか守るのかで二分されるデモ活動な客観的にはそんなことやっている場合かとすこしわらけてくる。なぜそれがおもしろいかというと、そんな不測の事態下での笑ってしまう行動は実際の大震災という不測の事態下で、われわれが現在までとっている行動だからなのだ。スクリーン全体で鏡を映し出されている気分になる。

 

さらに2016年版というところを強調したいのはやはり放射線被害の描画である。シーベルト半減期ガイガーカウンターといった単語は2011年以前では説明なしに使えない専門用語であったが、2011年の悲劇を乗り越えた日本人はこれらの言葉にたいするリテラシーがある。まさに、今の日本が見るべき映画だ。

 

一応気になったところもいくつか示したい。クライマックスのゴジラへの攻撃シーンは超興奮してみたのだが、あの電車や新幹線無人体当たり攻撃は線路が正常な状態であることが前提で、あの崩壊した東京都内でそれはのぞめるのだろうか。それはあのアーム重機も同じことがいえる。あそこまでなんなく近づくのって整備がちゃんとしてないとだめよね、と思った。

 

あと、日本政府ができるやつもしくいいやつで、足を引っ張るむかつくやつがいないのができすぎているかと思いました。不測の事態、情報が少ない中でいろいろな人がそれぞれの立場で発言をするのだが、全体を通しては同じ方向を向いていて、こうしたときによくあらわれるわけのわからない説明で流れをぶち壊すいやなやつが誰一人いなかったのはあまり現実的な組織のかたちではないかと思いました。もうちょっとイラっとくるやつがかき回してもよいかと思います。

 

まぁ、それにしたって面白かった。2016年日本で生活している今に見るべき、2016年版ゴジラの決定版で間違いないでしょう。とても大満足でした。

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

 この超人の頭脳について触れてみたいと思うのは自然なことではないだろうか。

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

 

 

この本にはプロになり7冠を取る前に大注目されていたころから、ここ最近までの幅広い期間に出版された羽生善治の著書ならびに、対談の記録を複数まとめた文庫書である。将棋であったり、棋士としての人生観、プライベートの過ごし方まで多岐にわたり書かれている。

 

そもそも将棋という盤を取り巻くの小宇宙は人生の縮図といっても過言ではない。勝つか負けるか、また勝つためにどのようにふるまい、研究し、人と付き合っていくか、人生を単純化したような世界観をみることができる。

 

その小宇宙の中で四半世紀以上トップで張り続ける男がご存知のこの男なのである。選りすぐりの将棋の天才・努力家が集う世界で頂点で居続けられるこの人の頭脳に触れてみたい、と思うのはとても自然のことではないかと思う。

しかしながらその答えは見つからなかった。とても頭の回転が速く、説明がうまい、というのははしばしに感じることはできるのだが、自分が超人たるゆえんをつかみ取ることはできない。しかしよくよく考えてみると自分がなぜそんなにすごいのか、ということをきっちり説明することは難しいだろう。例えば、どのように息をしているのか、どのように腕を動かすのかという、当たり前のことを説明することは難しい。羽生さんも将棋を小さいころから当たり前のように指し続け、あたりまえのように勝つことを目指して研究を続けてきた。だからどうしたら羽生さんのようになれるのか、という答えを羽生さん自身が持っているわけはないのだ。

 

ただ、その答えを見つけることができなくても、彼の生き方・考え方の片りんはとても参考になる。この本では、将棋の世界でトップを張り続ける男の片りんを長い期間の記録として味わうことができた。

Windows 10が(俺の中で)完成形に近づいている

強制アップロードであちらこちらで悲鳴が上がりとても悪名高いWindows10だが、私個人的にはとてもよくなっているかと思う。

 

そもそもWindows8/8.1が最悪だった言わざるを得まない。強制的にメトロモード(正式には違う名前だが、もはや忘れてしまった)で起動して使い慣れたデスクトップ画面にするためにはワンクリックをする必要がある。おそらくはiPhoneやAndoroidのモバイル戦略に対抗してアイコン画面インターフェースを浸透させようとしたようだが、既存ユーザにため息をつかせるような変更としか言いようがない。Win10でこれを廃止した(正確にはユーザが選択できるようにした)のは大正解。というかもとに戻っただけ、ともいいますが。

 

そして今後、Windows Anniversaryについて情報がちらほら出てきました。その中でビックトピックはUbuntuベースのバッシュコマンドをネイティブでサポートをする、ということだろう。

blogs.windows.com

早速Insiderプログラムに登録して使ってみたが、現段階で自分が使う程度のちょっとした開発には申し分ないできになっている。いままで仮想環境を立ち上げていたのだが、その手間が十分に減る。自分の開発環境の構築も問題なくできた。

 

もはやこれでWindows10は私が使うpC環境としては完成形に近づいたといっても過言ではない。こんなOSがただで利用できるなんてすばらしい。

OSの発達が喜ばしい一方でこの先の開発がまた大変になるだろうなぁと、門外漢ながら心配してしまう。また再びWindows8.1のようなよくわからないインターフェイスにもどすなどといった変更だけは避けてほしいものだ。

冒険歌手 珍・世界最悪の旅

知人の強い勧めもあってこちらの本を読了。いろんな意味で感性、価値観を広げることができる本であった。進めてくれた会社の知人も言っていたのだが、筆者の「自分の人生がこのまま苦労ないまますごしていいはずがない。」という普遍的な悩みを解決する方法として、ヨットでパプアニューギニアのジャングル探検と登山というとてつもない発想に驚きを感じる。そしてそこでの記録は近代的・衛生的な日本では経験することはできないだろう数々の冒険の記録に度肝を抜かれた。

 

冒険歌手 珍・世界最悪の旅

冒険歌手 珍・世界最悪の旅

 

 

しかしこの冒険記はこの本の魅力は半分でしかない。実はこの本の隠れた魅力は人間記にある気がする。ここで出てくる筆者の恵子さん、舞台を引っ張る隊長、そしても一人のユースケこと現在冒険家・ライターの角幡唯介さんの人間実や関係性がこの本を読み進めていくとグッと味がでてくる。

特に特筆すべきは隊長だ。冒険記の最中では恵子さんと隊長は何度かぶつかっている記述がでてきたが、正直隊長の人間性は垣間見えなかった。しかし、この本の付録である恵子さんとユースケさんの対談で隊長のやばい人柄がでてくる。(やばいというのはすごいと、紙一重なのではあるのだが。)

冒険記にはこの隊長がいなければスムーズにことが進まない場面もいっぱい出てくるし、そもそもこの計画が発生することはないのは事実であろう。しかしながらこの過酷な状況で隊長を含め三人の意思が疎通せず、特に隊長は独断専行の自分判断で事をすすめるために2人をいらいらさせることがおおかったようだ。(現にユースケさんはついていけず途中で帰国している)。

この本で、やばい冒険における、やばい民族との出会い、やばいジャングルでの生活、さらには身内にいるやばい隊長との生活という、筆者が求めて実現をした苦労を十二分に感じることができる。自分もここまで過激な方法ではなくてもなにか成長のために、小さな冒険を積み重ねていくことは重要だと思った。

逆転思考 400以上の新規事業から導かれた ありえない成功のルール

 どうも、いまの自分の現状から打破したいと思いながら本屋に入ると安易に自己啓発系に走りがちである。そのなかでタイトルにひかれて買ってしまったのがこちらの「逆転思考」という本である。

正直言わせてもらうとこの本のタイトルと内容は合致していないように思える。逆で言わせてもらうとタイトルで損してしまうほど、正攻法で効果的な「自分の成長の方法」について言及している。

逆転思考 400以上の新規事業から導かれた ありえない成功のルール

逆転思考 400以上の新規事業から導かれた ありえない成功のルール

 

 

人は失敗をおそれ、なるべく失敗しないほうに行動する癖が身についてしまう。特に日本の企業にいると出る杭で余計なことをし、さらにそれが失敗までしまうと本人も委縮をしてしまい、周りも次のチャンスを与えなくなってしまう。こうなると個人的にも成長ができず、組織的にもゆっくりとしぼんでいく。これが日本の現在の負のスパイラルといえるかもしれない。

 

本書では逆に挑戦と失敗を推奨する。失敗から学ぶことは非常に多く、その失敗がすぐに成長につながり成功への近道となるという。もちろん一言に失敗といってもいろいろあるが、ある程度「失敗」をコントロールして致命的な失敗を避け、成長につながる挑戦と失敗のサイクルができる方法・マインドセットを持つことを紹介している。

確かに今のままルーティンで業務をこなしているだけでは次に進まない。身の丈に合った挑戦を繰り返し、失敗と成長を繰り返していく成長のルーティンを作り上げなくては自分の目標への達成は難しいだろう。先ほど、現状を打破するために買ったと言った。そしてタイトルが内容と違うとも言った。面白いことにその結果に今の自分の状態にぴったり効く内容の本になっていたと思う。

チップに賭けた男たち

熊本をはじめ、九州の被災地において現在大変な現状が伝えられている。現地が落ち着き、地の皆様が安心な暮らしを再開できるよう強く祈りたい。

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モノづくり日本の象徴であった半導体事業。なにがどのようにすごかったのか、その記録が11の例をあげて記録されている。

 

チップに賭けた男たち

チップに賭けた男たち

 

 

最近、日本を称賛する番組が増えているという。海外との技術力やおもてなしの対応との差を比較し、ほめたたえるものだ。この内容には逆に日本の現状における「劣等感」の裏返しともいわれている。

この本も発行されたのが1998年で、バブルもはじけて久しく、主に日本産業の誇りであったモノづくりの分野を中心として、元気がなくなってしまったときである。 この当時もおそらくそうした背景でだされた本なのだと思う。

 

この本でかかれている各項目で述べられているパターンがほぼ決まっていて、アメリカで発見された革新的な技術テクノロジーが、日本にわたり技術を製品化できるモノに磨き上げて販売、大ヒットをさせ恩恵をもたらすのが日本企業というストーリーだ。

 

このお得意のルーティンが使えなくなってしまったのは日本技術の衰退というわけではないだろう。ただ、最先端の技術開発が半導体がメインでなくなってしまい、その新しい技術開発の場のながれについていけなくなってしまったのだと考えさせられた。

 

引き続き新しい流れに乗るためにはベンチャー企業の発展が必要不可欠だが、残念ながら日本の社会風土にそれを育て上げる土壌がない。現時点で世界に名をはせるベンチャーはアメリカからとなってしまった。

この本の出版からもうすぐ20年たとうとしてる。あきらめず、再度、世界へ挑戦できるベンチャー企業を育て上げるための対策対応を考え続けなくてはいけないかと思う。