思考ノイズ

無い知恵を絞りだす。無理はしない。

一周して尊敬をしてしまう「ねほりんぱほりん」総集編

今各方面で話題になっているNHK Eテレで放送中の「ねほりんぱほりん」。Webで話題になりアンテナにひっかかってはいたものの視聴する時間もなかったのですが、元旦あけに傑作?総集編を6本放送するということで録画をしてやっとこみることができました。テーマは、「プロ彼女」「二次元しか愛せない女」「元麻薬中毒者」「ハイスぺ婚」「転落社長」「議員秘書」など、過去の傑作選。それだけあってどの番組も興味をそそるないようとなっていた。というか私の大好物と言わざるを得ない。

 

www4.nhk.or.jp

 

それぞれの回のゲストはとてもアクが強く、ごくまれに「こいつ死ね」と思うこともあったのだが、最終的にある一点で尊敬の念をもってしまいました。

 

それは、ここにくるゲストの多くは自分の目標をもち、その目標を達成するためにあらゆる努力をして、なおかつその目標を達成している、ということが言えるからです。たとえそれが周りの人からみると滑稽とみえる目標であったとしても、ですが。

すくなくとも彼女らは、同じ目標をもっている仲間内からすれば「成功者」といえるのではないでしょうか。例として、偽装キラキラアカウントでセレブOLを演じるため、すくない上京時の写真を巧みに使いまわしてたくさんのフォロワーを集めて偽装を成功しています。またハイスぺ婚にあこがれるために、お嬢様女子大に入学し、お嬢様の礼儀をみにつけ、相手を研究し尽くす、など、涙ぐましい努力を重ねて成功を収めているのは疑いの余地はないです。

彼女らと自分を比較して、自分の目標の曖昧さ、ゆえにその目標に向かっていく意思の弱さなどが浮き彫り出されてしまった感じがした結果、なぞに尊敬の念を抱くことになってしまいました。

 

一方で感じたのが目標を達成した後の「燃え尽き」感が気になってしまいました。「ハイスぺ婚」でいえば、披露宴の司会の新郎紹介時、「東京大学卒業でー」というところがピークだったと語り、そのあとの結婚生活が満足せず不倫してしまうという始末。目標を達成するまではひたすらそこに向かって走り続けてみたが、いざ達成してしまうと冷静になり、今まで見えなかったものが見えてくる感じなのでしょうか。この様子をみているとなまじ夢など叶えないほうがよいのかなとも思ってしまったり。

 

とにもかくにも、この番組は毎週欠かさずみることを決定しました。ここ最近のNHKの番組構成は目をみはるものがあります。

 

真田丸ラス前。裏主役きりの存在感。

真田丸がとうとう49回を迎え最終回に向けてテンションが高くなっている。いままでともに豊臣方と戦っていた後藤基次木村重成長宗我部盛親らの戦士が描かれ絶望的な状況にたたされている状況の中にある。その暗いムードの中でも決してコメディのテンションを忘れないのが三谷幸喜脚本ならではのできかもしれない。

 

特に今回の長澤まさみ演じる「きり」の存在は光っていた。昔から恋心を抱いていた幼馴染信繁に抱きしめられ「遅い!」、さらにキスをされている最中に「10年前が一番きれいだったんだから!」。通常は長年の恋が実るというロマンチック全開、さらに決死の覚悟の前夜というシリアスなシチュエーションにこの堂々たるウザ女ぶり、さすがとしか言いようがない。

 

思えばこの真田丸においてきりの役割は大きかった。史実という枷のある中で、信繁や真田一派をあっちこっちの歴史的なシーンに立ち会わせることはできない。その中で資料が少ないという意味で比較的自由にうごけるきりを使って様々な歴史的なシーンに立ち会わせ、結果、そのイベントを真田とのつながりを大きくさせている。まさに裏の主役という役割といっても過言ではないのではないのだろうか。

 

さらにきりの役割はシリアスな歴史的な悲劇に立ち会わせ、そのウザキャラを存分に発揮させ、暗くさせすぎないという効果をあたえた。例をだすと、橋本マナミ演じる細川ガラシャの壮絶な最期。石田三成の人質になるぐらいならばと死を選ぼうとするガラシャを必死で逃がそうとするきり。腕を持ち上げて必死に引きずるという緊迫のシーンに一言「意外と重い!」。もう笑わずにはいられない。

 

このように今回の真田丸におけるきりの役割は非常に大きかった。そのウザキャラにイラッとし、シリアスなシーンをも和ませ、さらに締めるところはきっちり締める。非常に大きな役割を果たしたといえるのではないか。

1982年生まれを並べて考える

最近同い年の34歳のニュースをよく聞く。まずはDMM.comの新社長に内定した片桐氏。

nlab.itmedia.co.jp

 

そんで、衝撃の芸能界引退を発表した成宮寛貴さん。

headlines.yahoo.co.jp

 

34歳。若くもなくかといって老いているわけでもないこの世代にどんな同級生がいたのか気になってしまいWikipediaで調べてみたよ。本当は4月からかもしれないけど、1982年うまれで絞らさせていただきます。

 

ジャニーズでも人気のグループのなかでさらにグループ内で一番メディア露出が多いこの二人ですか!そしてこの2人が一日違いっていうのも興味深いですね。

 

特にコメントなし。すんまそん!

 

どうしてなんだよぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅっっ!

 

ウルトラソゥル!!いぇぃ!

 

コナン君の新ED、なにげに好きです。

 

この子は年をとればとるほど魅力が増しますね。それじゃぁバイバイ

 

そろってすげぇ年上かと思ってた。へぇ、まだ33・34なんすか!

 

というわけでそうそうたるメンバーでした。輝いている彼らたちを胸にがんばらなあかんと褌を締め直させていただきました。

 

 

ファンタジー作品を理屈で説明できる度合いで評価が変わる

君の名は。の快進撃がすすんでいる。歴史に残る大ヒットが確実となっている一方で、この作品に対して批判的な意見もよく見かける。これだけ大ヒットした作品だからいろいろな意見がでるのは当然のことではあるが、同じく大ヒットした「シン・ゴジラ」と比較すると批判的な内容の比率が大きい。

 

実は私の奥さんもまさにこのスタンスだった。最初に「君の名は。」を2人で見たあと、首をかしげていた。そのあと、おっかなびっくり見に行った「シン・ゴジラ」に関しては非常に評価が高かったようだ。私はどちらの2作品もほぼ手放しで喜んだ。もちろん多少の突っ込みどころはあるにはあったが、全体を通して大傑作というスタンスだった。そのため、この2作品に対して評価がぱっくり分かれた奥さんが当初不思議だった。

 

そのあと話をして、よくよく話してみて、私の中で一つ結論が導き出された。まず前提として彼女は理系の世界で生きている女性である。このことが「シン・ゴジラ」のみの評価を大きく引き上げた。この映画はゴジラの存在そのものがファンタジーであるものの、その出現理由、政治対応、科学的解決などすべてが理詰めで説明される。わかりやすかったのだろう。

 

しかしながら同じく理系である私は「君の名は。」も評価をしてしまっている。そこにはこうしたファンタジー作品への慣れの違いあるのではないかと考えた。私の奥さんは漫画・アニメを見た経験がほとんどなく育っており、ゆえにこうしたファンタジー作品に対してもほとんど触れてこなかった。この作品をみた後に放った第一声が「なんで2人が入れ替わっているのかわからなかった。」である。一方で私を含め、日本人の多くは幼少期に漫画・アニメに触れる機会があり下地ができる。この下地の有無が私と奥さんの感想に違いを生んだに違いない。

 

もちろん「君の名は。」に批判的なほかの人の多くにもこの下地はついているから当てはまらないだろうが、このファンタジーが「どれだけ理屈で説明できるか」というというポイントが評価の割合に影響を及ぼすことは考えられるだろう。現に批判のおおくは「~が説明できない」というサマリーに集約できるのはないか。

 

君の名は。」も「シン・ゴジラ」も全体的には素晴らしい作品・出来栄えであることは前提ではあるが。その中でファンタジーのグレーな部分がどこまで説明できるか・納得できるかによって評価の度合いは変わってくるのではないかと考察をしてみる。

使徒としてのゴジラ、ネルフとしての日本政府 「シン・ゴジラ」 ネタバレ

話題のシン・ゴジラみました。初4Dで見たのですが、まぁ、面白かったけど、追加した料金分楽しめたかというとそこは微妙なところ。

 

んなこたぁ、どうでもよいんですよ。ゴジラですよ。いやーよかった。よい噂をよく聞くので期待値のバーは上がっていたのですが、それは楽に超える程度のできではあったと思います。現代の社会問題を色濃く映したうえでのまさに2016年だからこそのゴジラ映画ではないでしょうか。2016年版ゴジラである。

 

まず、ゴジラとの戦闘アクションがよかった。これは私の世代でドンピシャのエヴァンゲリオンの新しい使徒との闘いが見れたという点で大満足です。エヴァンゲリオンでは心理描写の妙というかたちでよく語り継がれていますが、アクションシーンもなかなかよくできるという。使徒という未知の巨大生物とどう戦うか、かれらの生物的解析をおこない、弱点を分析し、それを実行する、というながれがまさかの使徒としてのゴジラを相手に実写でみられました。これはテンションがあがるぅ!しかも人類側は巨大決戦兵器ではなく、2016年時点での現代兵器でたいおうしていかなくてはならない。この点においてリアリティラインが上がっており、ハラハラがとまらない。

 

ゴジラが使徒ならば、対峙するネルフは日本政府ということになるでしょう。リアリティラインといえば、この日本政府の対応を異様にねちっこく、政治性を前面に押し出して描画している。攻撃一つをおこなうにしても決定するための総理の決断が必要。これはルールであり政治的力を抑制するためにあるのだが、こうした事前に想定を全くしていなかった、不測の事態に対する適用にも当てはめることで、どこかコメディ的な、滑稽な様子が映し出されている。この滑稽さはなにも政府だけではなく、一般市民の生活にも描画されている。最初に上陸したゴジラがいなくなったあとの、一時的になにもなかったようにすごされる平和な生活や、ゴジラを倒すのか守るのかで二分されるデモ活動な客観的にはそんなことやっている場合かとすこしわらけてくる。なぜそれがおもしろいかというと、そんな不測の事態下での笑ってしまう行動は実際の大震災という不測の事態下で、われわれが現在までとっている行動だからなのだ。スクリーン全体で鏡を映し出されている気分になる。

 

さらに2016年版というところを強調したいのはやはり放射線被害の描画である。シーベルト半減期ガイガーカウンターといった単語は2011年以前では説明なしに使えない専門用語であったが、2011年の悲劇を乗り越えた日本人はこれらの言葉にたいするリテラシーがある。まさに、今の日本が見るべき映画だ。

 

一応気になったところもいくつか示したい。クライマックスのゴジラへの攻撃シーンは超興奮してみたのだが、あの電車や新幹線無人体当たり攻撃は線路が正常な状態であることが前提で、あの崩壊した東京都内でそれはのぞめるのだろうか。それはあのアーム重機も同じことがいえる。あそこまでなんなく近づくのって整備がちゃんとしてないとだめよね、と思った。

 

あと、日本政府ができるやつもしくいいやつで、足を引っ張るむかつくやつがいないのができすぎているかと思いました。不測の事態、情報が少ない中でいろいろな人がそれぞれの立場で発言をするのだが、全体を通しては同じ方向を向いていて、こうしたときによくあらわれるわけのわからない説明で流れをぶち壊すいやなやつが誰一人いなかったのはあまり現実的な組織のかたちではないかと思いました。もうちょっとイラっとくるやつがかき回してもよいかと思います。

 

まぁ、それにしたって面白かった。2016年日本で生活している今に見るべき、2016年版ゴジラの決定版で間違いないでしょう。とても大満足でした。

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

 この超人の頭脳について触れてみたいと思うのは自然なことではないだろうか。

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

 

 

この本にはプロになり7冠を取る前に大注目されていたころから、ここ最近までの幅広い期間に出版された羽生善治の著書ならびに、対談の記録を複数まとめた文庫書である。将棋であったり、棋士としての人生観、プライベートの過ごし方まで多岐にわたり書かれている。

 

そもそも将棋という盤を取り巻くの小宇宙は人生の縮図といっても過言ではない。勝つか負けるか、また勝つためにどのようにふるまい、研究し、人と付き合っていくか、人生を単純化したような世界観をみることができる。

 

その小宇宙の中で四半世紀以上トップで張り続ける男がご存知のこの男なのである。選りすぐりの将棋の天才・努力家が集う世界で頂点で居続けられるこの人の頭脳に触れてみたい、と思うのはとても自然のことではないかと思う。

しかしながらその答えは見つからなかった。とても頭の回転が速く、説明がうまい、というのははしばしに感じることはできるのだが、自分が超人たるゆえんをつかみ取ることはできない。しかしよくよく考えてみると自分がなぜそんなにすごいのか、ということをきっちり説明することは難しいだろう。例えば、どのように息をしているのか、どのように腕を動かすのかという、当たり前のことを説明することは難しい。羽生さんも将棋を小さいころから当たり前のように指し続け、あたりまえのように勝つことを目指して研究を続けてきた。だからどうしたら羽生さんのようになれるのか、という答えを羽生さん自身が持っているわけはないのだ。

 

ただ、その答えを見つけることができなくても、彼の生き方・考え方の片りんはとても参考になる。この本では、将棋の世界でトップを張り続ける男の片りんを長い期間の記録として味わうことができた。

Windows 10が(俺の中で)完成形に近づいている

強制アップロードであちらこちらで悲鳴が上がりとても悪名高いWindows10だが、私個人的にはとてもよくなっているかと思う。

 

そもそもWindows8/8.1が最悪だった言わざるを得まない。強制的にメトロモード(正式には違う名前だが、もはや忘れてしまった)で起動して使い慣れたデスクトップ画面にするためにはワンクリックをする必要がある。おそらくはiPhoneやAndoroidのモバイル戦略に対抗してアイコン画面インターフェースを浸透させようとしたようだが、既存ユーザにため息をつかせるような変更としか言いようがない。Win10でこれを廃止した(正確にはユーザが選択できるようにした)のは大正解。というかもとに戻っただけ、ともいいますが。

 

そして今後、Windows Anniversaryについて情報がちらほら出てきました。その中でビックトピックはUbuntuベースのバッシュコマンドをネイティブでサポートをする、ということだろう。

blogs.windows.com

早速Insiderプログラムに登録して使ってみたが、現段階で自分が使う程度のちょっとした開発には申し分ないできになっている。いままで仮想環境を立ち上げていたのだが、その手間が十分に減る。自分の開発環境の構築も問題なくできた。

 

もはやこれでWindows10は私が使うpC環境としては完成形に近づいたといっても過言ではない。こんなOSがただで利用できるなんてすばらしい。

OSの発達が喜ばしい一方でこの先の開発がまた大変になるだろうなぁと、門外漢ながら心配してしまう。また再びWindows8.1のようなよくわからないインターフェイスにもどすなどといった変更だけは避けてほしいものだ。