梅村長幸、考え中。

蛇の瞳に恋してる

最高すぎるドラマ「カルテット」が示す大人の条件と、1990年前半の少年アニメの主題歌

ドラマ「カルテット」にドはまりしてしまった。ドラマをこれだけしっかり見て毎週楽しみにするようにしたのはいつぐらいぶりだろう。ドラマをみては、このドラマのえげつないまでの詳細を評するエントリーをかく「青春ゾンビ」さんの記事をみて目から鱗を落としまくった後、さらに録画したドラマを見返すという心地よいサイクルが2017年の頭におきたことはとても幸せに感じている。

2/7の第四話までで登場人物の自己紹介が大体終わった。隠されていた「嘘」についても主役の巻(松たか子)を除く3人の嘘についてはほぼオープンになっている。これからは巻の嘘を軸に展開していくのだろうか。引き続き期待である。

 

このドラマのテーマは「大人」である。番組PRでは「大人の恋」と謳っているようだが、たぶん恋というくくりではこの物語は狭すぎる。「大人の人間関係」とでもいうべきか。4人は大人になりきれなかった人たち。好きな音楽で成功をおさめられず、世間一般がさす「大人」の定義にあてはまれない。2話から4話は3人の嘘を暴きながら、3人が大人になり損じたケースを示していた。

2話、別府(松田龍平)は、一緒にいて楽な女性の突然の婚約発表に焦り、引き留めようとする。女性が自分の知らない間に「結婚」という大人のステップを駆け上がったことにあせり、結婚を申し出るが断られてしまう。

3話、すずめ(満島ひかり)は、親の死に目に会いに行かなくてはいけないという「大人の常識」に直面する。実の父親の死に目には行かなくてははいけないが、その父親が過去におこした人間的に誇ることができない行動、さらには母親にした仕打ちなどがそれを思いとどまらせる。それでも行こうとした寸でで巻によって「行かないことを認められる」という展開が見事だった。

4話、家守(高橋一生)は、別れた妻と子供とのやり直しをはかる展開。特に子供のために責任ある「大人」として、もう一度やり直すと提案するも元妻によって拒否られてしまう。

三者三様で「大人の階段」をのぼり損ねた様子を繊細な描写で描かれている。彼らは常に落ちたりこけたりが多いが、世間一般の立派な大人はなかなかこけないはずである。

 

しかしながらご存知の通り、この作品のテーマにおいて「一般的」で「常識的」な大人であることを善としているわけではなく、むしろ大人になりきれない大人の関係に美しさを描いている。「青春ゾンビ」さんのなかでも詳しいが、何度もしつこく示されている2項対立を際立たせ、かつどちら側を勝ちとするわけではない、灰色の状態でいることを良しとしている。この大人になりきれない大人たちのグレーな状態なコミュニティを土台にして他のドラマには見られない面白さを生み出しているのだ。

 

ようやく本題。このグレーであることの大人でどうしても思い出してしまう歌がある。ここの登場人物と同じ世代の30半ばの自分が子供のころにみていた幽遊白書のOPテーマソング「微笑みの爆弾」である。

都会の人混み 肩がぶつかって ひとりぼっち

果てない草原 風がびゅびゅんと ひとりぼっち

どっちだろう 泣きたくなる場所は

2つマルをつけて ちょっぴり大人さ

 

馬渡松子 「微笑みの爆弾」

子供のころになにげなく聞いていたこの歌詞は大人になるほど響いてくるようになり、さらに「カルテット」で大人を考える上でいつも思い浮かんでしまう。25年以上前に生まれた作品がカルテットのテーマを物語ることができるのではないか。うん、グレーゾーンを作れる人間関係が実は「真の大人の関係」ではないのかと。

 

少年時代、学校で提示される問題は必ずある正解を見つけ出すように勉強をする。もしくはいい子であることが正しいこととしてしつけを受けていく。しかしながら大人になったら正解のない答えを見つけなくてはいけないことに気づかされる。いい子は立場によって大きく変わることが理解できてくる。正解なんぞ存在しないなかでの選択を迫られるのが大人なのだ。

このドラマや少年時代に聞いたアニメの歌詞はさらに踏み込み、その正解すらもはっきり定義せず、グレーであることを大人としていた。場合によっては結論をださないことでスムーズな人間関係を作り出せることも、真の大人の条件となるのではないか。

 

25年以上たってリンクした2つの作品のメッセージが私の感性を非常に刺激された。カルテットはこの先どのように導いてくるのか非常に楽しみである。