梅村長幸、考え中。

蛇の瞳に恋してる

真田丸ラス前。裏主役きりの存在感。

真田丸がとうとう49回を迎え最終回に向けてテンションが高くなっている。いままでともに豊臣方と戦っていた後藤基次木村重成長宗我部盛親らの戦士が描かれ絶望的な状況にたたされている状況の中にある。その暗いムードの中でも決してコメディのテンションを忘れないのが三谷幸喜脚本ならではのできかもしれない。

 

特に今回の長澤まさみ演じる「きり」の存在は光っていた。昔から恋心を抱いていた幼馴染信繁に抱きしめられ「遅い!」、さらにキスをされている最中に「10年前が一番きれいだったんだから!」。通常は長年の恋が実るというロマンチック全開、さらに決死の覚悟の前夜というシリアスなシチュエーションにこの堂々たるウザ女ぶり、さすがとしか言いようがない。

 

思えばこの真田丸においてきりの役割は大きかった。史実という枷のある中で、信繁や真田一派をあっちこっちの歴史的なシーンに立ち会わせることはできない。その中で資料が少ないという意味で比較的自由にうごけるきりを使って様々な歴史的なシーンに立ち会わせ、結果、そのイベントを真田とのつながりを大きくさせている。まさに裏の主役という役割といっても過言ではないのではないのだろうか。

 

さらにきりの役割はシリアスな歴史的な悲劇に立ち会わせ、そのウザキャラを存分に発揮させ、暗くさせすぎないという効果をあたえた。例をだすと、橋本マナミ演じる細川ガラシャの壮絶な最期。石田三成の人質になるぐらいならばと死を選ぼうとするガラシャを必死で逃がそうとするきり。腕を持ち上げて必死に引きずるという緊迫のシーンに一言「意外と重い!」。もう笑わずにはいられない。

 

このように今回の真田丸におけるきりの役割は非常に大きかった。そのウザキャラにイラッとし、シリアスなシーンをも和ませ、さらに締めるところはきっちり締める。非常に大きな役割を果たしたといえるのではないか。